【第4回】働きながら向き合う親の介護 予想外の人生が動き出す!

こんにちは、新人ライターのmarcoです。認知症の母の介護をきっかけに、移住と転職を決意したことは、私にとって大きなターニングポイントでした。とはいえ、現実は厳しく、乗り越えることはたくさんあります。

それでも、その過程でたくさんの人々に支えられていることに気づき、大きな喜びを感じました。母の介護が導いた、まったく予想外の新しい人生。そこでの葛藤や気づきを、ここでお伝えしていきたいと思います。

支えられて進む移住への道

移住を決めると同時に、退職準備や住居の売却、母の施設さがしそして、新しい仕事さがしを開始しました。それらでは、住居の売却が移住の要でしたが、不動産業者の敏腕営業マンのおかげで、無事に買い手が決まり、退職まで引き渡しを待ってもらうことに。

しかし、移住先では車がなければ生活できないにもかかわらず、私は免許すら持っていなかったのです。そこで、仕事帰りに教習所へ通い、免許取得を目指すはめに、、、
その間、母の介護はデイサービスとショートステイを組み合わせて切り抜けられました。これも、ケアマネージャーの助けがあってからこそ。

家族や会社の上司、同僚はもちろんのこと、デイサービスのスタッフ、教習所の先生、不動産や車の営業マンまでもたくさんの人たちが私の移住を応援してくれるかのようで、心が温まりました。母の介護で精神的につらい時もありましたが、支えられるありがたさに涙がとまらなかった!これほど多くの人に支えられ、感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのは、人生で初めてといっていいほどの経験でした。

ケアマネージャーとともに進んだ施設さがし

新しい生活の準備と並行し、母の施設探しを進めました。しかし、希望の施設では、家族からの問い合わせには応じでくれるものの、すぐの入居は難しいという対応でした。

そこで私が候補を選び、ケアマネージャーが直接交渉する方法に。候補のなかから、ケアマネージャーが粘り強くアプローチし、見学の機会を得ることに成功。「餅は餅屋」とはまさにこの事で、またしてもケアマネージャーの頼もしさを感じました。

特養の待機の長さはこの地域でも同様でしたが、有料老人ホームの費用が特養と大きく変わらない点は救いでした。もちろん、母の年金だけでは足りませんが、何とかやりくりがつく範囲の施設がみつかったのです。決め手は病院のような外観と室内。母には施設入所というプレッシャーを与えたくなかったため、「しばらく療養のための入院」と伝えていたからです。

仕事さがしは甘くはない!

引っ越しの準備も整い、母の施設も無事に決まりました。しかし、肝心の私の仕事はまだ決まらず、まさに待ちの状態。失業保険の給付があるため、しばらくは生活に困らないと楽観視していたものの、すぐに決まると思っていた在宅ワークの仕事は一向に決まりませんでした。 何社か応募しても不採用が続き、長年の会社勤めで培った自信はあっけなく打ち砕かれました。とはいえ、落ち込んでいる余裕はありません。新しい環境で新たな働き方に挑むと決めたのは自分です。次の一手を考えなければ!仕事探しの挑戦が始まりました。

まとめ

移住と転職という人生の大きな決断を経て準備は順調に進んだものの、次の仕事は決まらぬまま引っ越しへ。車の運転もままならず、不安を抱えての船出でした。

しかし、母は新生活に抵抗することなく、むしろ穏やかに過ごしていました。というのも、この頃はすでに自分がどこにいるのかという認識すらなくなっていたからです。

施設も決まり、また母の抵抗もなかったことに安堵する一方で、認識がどんどん薄れてゆく母の姿に切なさを感じずにはいられませんでした。次回、施設介護の様子と仕事さがしの続報をお届けします。

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