【第3回】働きながら向き合う親の介護 決断の転職

こんにちは、新人ライターのmarcoです。

前回の記事では、母の認知症介護を始めたことで、会社勤めとの両立に行き詰まりを感じたところまでをお話ししました。今回は、そこから転職という選択肢を考え、実際に行動を起こし始めた経過についてお伝えしたいと思います。

もちろん、今の仕事を続けながら介護と両立できるのが理想であり、一番シンプルな解決策だということはわかっていました。ただ、それが現実的に可能なのか?

とはいえ、仕事を変える決断は簡単ではありません。そこで、まずは冷静に現状を整理し、課題を洗い出してみることにしました。すると、浮かび上がってきたのは、3つの大きな課題でした。

居宅介護の限界?

課題の大きな部分を占めているのは、認知症という病気の特徴でした。母は自分の思い通りにならないと、汚言を吐いたり、物をたたいたりします。気に入った食べ物しか口にせず、栄養の偏りも顕著でした。さらに、衣類の着替えも拒否。汚れた服を脱がせても、洗濯カゴから取り出してまた着てしまうのです。
ケアマネージャーに相談すると、家族介護ではよくあることだと教えられました。
施設では介護者が肉親でないため適度な緊張感が生まれ、それが脳に刺激を与えるそうです。反対に家族には甘えが出やすく、症状が進行することも。

そろそろ、施設を考える時期がきたかもしれないとアドバイスを受け、解決策の一つと考えるように。

介護施設さがしと費用の壁

ケアマネージャーのアドバイスを受け、本格的に施設さがしが始まりました。これが2つ目の課題、介護施設にいくらの費用をかけられるかということです。

専業主婦だった母の年金はわずかで、貯金もほぼゼロ。年金で入れるのは特別養護老人ホーム(特養)くらいですが、その当時は(現在は状況の変化はあるかもしれませんが)都内の特養はどこも長い順番待ちでした。

一方、民間の有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)は高額で現実的な選択肢にはならず…。都内では無理かもと考えるように。

都会にこだわらない!仕事と介護を両立させるために

施設さがしをしていた時期に、縁あって出会ったのは、都心からほど近い山間のふどう農園でした。そこは、果樹ではめずらしく無農薬で有機栽培の農園で、援農といって都会から集まった人たちとぶどうの収穫を体験できました。

夏は盆地特有の暑さがあるものの、高地のさわやかな風が心地よく、東京の蒸し暑さとは違う快適さを感じました。何より驚いたのは、農家の方々の元気な姿です。母より年上の高齢者が活き活きと働く様子を見て、「都会にこんな環境があるだろうか?」と考えさせられました。

3つ目の課題がここにあったのです。介護している自分がいつまで元気でいられるか?あと何年母の介護が続くかはわかりませんが、認知症のことを知れば知るほど、予防の大切さを痛感します。

これらを考えたとき、運動習慣とコミュニケーションの維持が自然にできるこの土地の魅力に気づきました。

さらに、この地域の介護施設の費用は東京の半分以下。「そうだ!移住しよう!」心が決まった瞬間でした。

まとめ

居宅介護に限界を感じて、施設さがしを始めたころ出会った都会から離れた土地。ここには課題を解決できる方法があるにちがいない!とまず移住を決意。今の時代はどこでもリモートで働けると高を括って決めてはみたものの、前途多難なスタートは否めませんでした。次回は移住決意から退職、引っ越し、仕事と施設さがしの苦労、そして訪れた安堵の瞬間についてお伝えします。

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