7年の在宅介護。“終わりの見えない時間”を乗り越えた私の記録

はじめまして。白くま子です。
今日は、80代の両親と50代の私の3人で暮らしながら、父の在宅介護を続けた日々についてお話ししたいと思います。
父にケアマネージャーさんがついてから約7年。認知症の進行や身体の衰えと向き合いながら、母と私で力を合わせて乗り越えてきた時間を、当時の気持ちも交えて綴りました。

母・父・私の3人暮らしと、7年間の在宅介護

実の両親80歳代、娘の私50歳代の3人暮らし。父の介護が必要になり、担当のケアマネージャーがついて約7年。父に大きな病気は無かったが、体が徐々に動かなくなり、認知症も進行し、最後の数ヶ月は完全な寝たきりで要介護度5と判定され、老衰で旅立った。

介護の始まり──最初は母がほぼ一人で支えた

父の要介護度が進行するにつれて、私が介護を担う量も増えていったが、まだ父がなんとか歩ける状態だった最初の頃は母がほぼ1人で介護を行い、私は手伝う程度だった。

風呂好きの父は毎日入浴したがる。母が父の服とおむつを脱がせて体を抱えるようにして浴室へ移動し、掛かり湯をさせようとするのだが「(掛かり湯など)いらん!」と父は大声で拒否し、そのまま湯船に入ろうとしてふらつく。「洗わなあかん!」母も叫んで押し問答になる。
浴室の戸のガラス部分に、水気を帯びた茶色い塊がビシャッと投げつけられたように引っ付き、そのまま茶色い線を残してツーッと下へ落ちていった。父が大声を出して腹に力が入ったので大便が出たのだ。そんな状態でも父は母の制止を振り切りそのまま浴槽へ入っていった。
湯の状態がどうなったか?推して知るべしだ。
認知症が進むにつれて、父は頑固で我儘になり、周りの者の言うことを聞かなくなった。

母の苛立ちと、私が飲み込んだ気持ち

父は毎日一番風呂。父の入浴後、毎度湯を替えるのはもったいないと、湯の状態が「マシ」な時には母の命令で湯を替えないことがあった。「汚いもんが浮いてたら、すくって捨てたらええんや。あんた(私のこと)イヤやったら風呂に入らんかったらいい!」母は強い口調で言った。
それまでの母との関係だったら、私も応酬し、言い合いが始まるところだ。だが母のストレス、気持ちを考えて、私は口をつぐんだ。不満を私にキツく言うことで、少しでも母の気持ちがスッとするのなら、黙って聞いておこうと考えた。

終わりの見えない介護──母と娘が“揉めない”ために決めたこと

介護はいつまで続くか分からない。これは介護において最も辛いことの1つだと思う。私に毒を吐くことで気持ちを安定させるとともに、父が入浴する度に湯を替えていたら、介護が長期間に及んだ場合の光熱費の額は?という不安も母の頭をよぎったのだろう。
母と娘が仲違いしたり、遺恨を残すような関係になることは避けたいと私は考えた。いつまで続くか分からない介護のスタート時に、介護をする側の仲間同士で揉めている場合ではない。
「ゴールの日まで介護を続ける」という共通の目標を心の中心に置いて、お互いいろいろと思うことは飲み込んで水に流し、母と娘、とにかく協力して介護を続けることを最優先とする日々を送った。

母と私、最後までタッグを組んで介護をやり切った

母と私でちょっとした言い合いはよくしたが、それが決定的な亀裂にまでは至らず、ゴールの日までタッグを組んで父の介護を続けることができたこと、母と、そしてその長い期間、助けていただいた多くの人たちに感謝するばかりだ。

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