備えあれば憂いなし。積み重ねた経験は「まさかのとき」の支えになる


こんにちは。ら・こっここです。
わたしの場合は、急に介護が始まったというよりも、ゆるやかに介護生活に突入したという状況でした。

ゆるやかに始まった介護生活

幼少期から母は体調が悪いことが多く、中学三年の秋、高校受験前に婦人科系の疾患で手術をすることに。母親の望む特殊な治療法をしてくれる病院は家からは遠く、家事をして、入院中の母の洗濯物や必要なものなどを届ける必要が生じました。
手術は成功したのですが、母の体質からか傷口がうまく接合せず、入院中のある動作によって、体内の手術口が開いてしまい、再手術をすることに。
入院期間が延びたこともあって、予定していた時期に退院してくることができなくなりました。これは、のちのちのがん闘病の長い通院・入院生活への気持ちの面での備え・覚悟ができたように思います。

社会人と介護の両立

高校生になると、さらに母親の体調はすぐれず、学校帰りの食料品の買い出しと夕食づくりや掃除は当たり前のことになっていました。
高校卒業後は市内の企業に就職したのですが、就職後に母親が職業病ゆえの重症の五十肩に。トイレの後、自分のお尻を拭くこともうまくできず、ズボンを上げ下げすることもやっと。もちろん入浴時は自分で体を洗えず、その時点で入浴介助が必要になったのです。
介護は年齢が50代未満ですと、当時は公的な援助は受けられずに、すべて自分たちでどうにかしなくてはならない。慣れない社会人生活との両立で、仕事が終わった後や休日は休みを取りたかったのですが、それは叶いませんでした。
ただ、目の前にある現実、母親を介護しなくてはならないという日々と向き合うことに。買い物は土日にまとめて行くようにし、毎日の料理づくりなどは時短でできるように工夫しながら取り組みました。
当時の母の症状は腕を水平よりも上には上げられない状態。それよりも下にあるものなどは時間をかければできるようになったので、簡単な料理などはリハビリを兼ねて行うようになりました。
それでも、鍋を洗うなどはできませんから、わたしがまとめて鍋を洗いました。無心で鍋をシャカシャカ、ゴシゴシ洗うと、なんとなく気持ちが落ち着いた気がします。
母の五十肩の治療のため、2~3の病院にかかっていたので、送り迎えが必要に。そこは母の知人が面倒を見てフォローしてくれました。

そして、がんの告知と介護の日々

肩の不調で通院してから4年後に、夏風邪をこじらせ、その直後左胸がとんでもなく腫れました。
腫れが引かないのでかかりつけ医に行ったところ、がんの可能性が。紹介状を書いてもらい、県立がんセンターへ行くことに。
がんセンターで検査・診断の結果、原発不明のがんを発症していて、ステージ4の中期、余命半年の宣告。すでに手術も放射線治療もできないので、抗がん剤の投薬治療一択。そこから、約5年の介護生活が始まりました。
突如始まる介護で感情的な整理をつけられないままでも母の看取りができたのは、7~8年かけて緩やかな介護生活を経験していたから、最後まで走りきれたのかもしれません。
避けて通れればよいけれど、回避できない現実も「備えあれば…」積み重ねた経験値が、わたしの介護には役に立ったなと。

まとめ

介護はいつ始まるか分からない。
だからこそ、日常の中での小さな経験や工夫が、のちの支えになるのだと実感しています。
「備えあれば憂いなし」――積み重ねた経験が、いざというときの力になると思います。

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