【第2回】働きながら向き合う親の介護 母とアルジャーノン

こんにちは、新人ライターのmarcoです。今回も、前回に引き続き、母の認知症介護の現状とそれに伴う私の働き方の変化についてお話ししたいと思います。

母が認知症と診断されてから、症状は日々進行し、私はその変化に追いつけないもどかしさを感じていました。そして、そのたびに、ダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』が思い浮かんだのでした。

知的障害を持つ主人公チャーリーが脳外科手術によって天才的な知能を得るものの、やがてその能力が衰えていくというSFストーリーはご存知の方も多いはず。そして、チャーリーの知的機能が後退していく情景に、私は母の姿を重ねてしまうのです。 記憶が薄れ、認知が曖昧になるなかで、母はもがき、悲しみの中にいます。私には何ができるのか?どう寄り添えばいいのか?

気づかなかった小さなサイン~フレイルの兆し

母の異変は突然訪れたように思っていました。しかし、認知症について学ぶうちに、実はずっと前からその兆しがあったことに気づいたのです。

「フレイル」。これは、介護が必要になる一歩手前の状態を指し、適切な介入(予防・治療)を行えば健康長寿を目指せるとされています。今振り返ると、母にもその兆候がありました。

例えば、外出時によく転倒していたこと。最初は笑い話のように受け止めていましたが、歩行の衰えのサインだったのでないでしょうか。一人暮らしであっても近所の友人と社交的に交流していると安心していましたが、実際には友人たちも同じように年を重ね、交流は途絶えていたのでした。もっと早くフレイルの存在を知り、小さな変化に気を配っていたら。そんな後悔が残ります。

始まる徘徊、コロナ禍で直面した現実

ちょうどその頃、新型コロナウイルスが蔓延し、私の勤務先でも極力出社を控えるよう推奨され、在宅勤務が基本となりました。しかし、それは同時に、高齢者施設では感染が広がりやすい状況を生み出し、デイサービスは発症者が出るたびに休止。結果として、私は在宅勤務をしながら母の介護をすることになったのです。

認知症の症状には波があり、悪化すると母はまるで5歳児のようになってしまいます。保育園が休みの日に母親が在宅勤務をしている幼児のように、母は執拗に甘えてきました。特に、私が仕事の電話をしているときが最悪で、突然会話に割り込んできたり、鍵を開けて外に出てしまったりと、業務に集中できないことが日常茶飯事に。 何度、母を探して外を駆け回ったことか。あるときは路上で転倒してしいて、救急車を呼ぶ騒ぎになることも。そんな日々が続くうちに、私は仕事を続けることに不安を感じ始めるようになりました。

転職を考える時!

在宅勤務を始めたとき、組織の枠を超えて個人で仕事ができることがとても新鮮に感じられました。これまで、会社のなかで働くことが当たり前だった私にとって、自分の裁量で働ける環境は憧れでもありました。子育て中もそうでしたが、組織に依存しない仕事、働き方に魅力を感じていたのです。

当時の会社では、周囲の理解や支えもあり、環境としてはかなり恵まれていました。しかし、組織の一員である以上、チームとしての目標があり、その中で成果を求められる義務もあります。

個人の裁量で自由に動けるわけではなく、組織の方針に沿って行動しなければなりません。

思うように両立できないもどかしさ。仕事に集中したいのに介護の負担は重くのしかかります。

まとめ

突然ふりかかってきた介護だと思っていましたが、実は予兆を見逃していただけではないかと後悔ひとしきり。

それでも、一番苦しいのは母自身なのです。記憶が薄れゆくなかで、自分が変わっていくことをおぼろげに知る苦しみ。まるで迷路の中で彷徨うアルジャーノンのように。母の悲しげな眼差しを前に、思い悩みました。

仕事どうする? これからどう生きるべきか。次回、「決断の転職」へ続きます。

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