もう会えない“あの頃の母”へ。在宅介護で見えた現実と支え

こんにちは。パートで働きながら、在宅ワークの勉強を始めたばかりの千紘と申します。今回は、同居している母の介護についてお話しさせていただきます。

介護のはじまり

私の母は現在、要介護5で全介助が必要な状態です。
はじまりは、60代の時に若年性認知症と診断されたこと。その頃はまだ体が元気でしたが、自宅を出てから帰ってこない事もたびたびあり、ある日とうとう警察のご協力をいただきつつ市内放送「迷い人のお知らせ」をされる事態になりました(この時は放送を聞き覚えていた方がたまたま母を見かけて連絡をくださり無事帰ってきました)。
この頃は認知症といっても比較的軽度だったので家族だけで介護していたのですが、その迷い人騒動がきっかけで市役所からケアマネージャーやデイサービスを紹介され、現在もつづくデイに通いながらの自宅介護が始まりました。

転んでからの大変化

上記は10年ほど前の出来事でしたが、それ以来、母含め家族をとりまく環境はだいぶ変わりました。
迷い人騒動からデイサービスに通いはじめて5年ほどたった頃、母が自宅で転んで大腿骨を骨折。それからは車いす生活になり、デイサービスから母と車いすを抱えて集合住宅の上階まで送り迎えはできないとの事(当たり前)で、エレベーターとスロープのある物件へ引っ越し。と同時に、それまで離れていた家族が介護のために同居。個々の生活リズムに互いが干渉する生活になるので、介護だけでなく同居に慣れるだけでも期間を要しました。

それが落ち着いたと思ったら翌年、今度は誤嚥の危険がでてきているとの事で口から食事をする事が禁じられ、胃ろう(腹部に小さな穴を開け栄養剤を注入する栄養補給法)に。
その翌年、今度は風邪をひいた事がきっかけで痰や鼻水を自力で排出するのが難しくなり、吸引機の導入とチューブを用いた吸引の習得が必要になりました。
その翌々年、またもや風邪がきっかけで肺が弱ってきている事がわかり、酸素療法も加わり、常に鼻に管をつける生活に。

ここまでで、
● ケアマネージャー
● デイサービス
● 胃ろう
● 吸引
● 酸素療法
● 上記に伴い訪問診療
● 訪問看護
● 訪問リハビリ
● 訪問歯科
● 訪問入浴
● 介護用品レンタル業者
● 酸素療法の機器の業者
● レスパイト入院
などの様々なサービスや人達に支えられ、母と自宅で過ごせています。

それまで「認知症は脳の病気」というざっくりとした認識だったものが、脳から体のあちこちに影響して、本人の活動をどんどん狭めていってしまう恐ろしい病気だったのだと身に沁みました。
デイサービスに通い始めて数年は笑顔も言葉も多かった母が、ゆるやかに少しずつ言葉を忘れてしまったためか、今は発語もできなくなりました。辛うじて表情はわかってくれるので、それでなんとかコミュニケーションできている状態でしょうか。

今できる事があるのなら

こうなってくると元の母の人格が再び発現することは難しく、死に別れたわけでもないのに、もうあの頃の母に会える事は二度と無いんだと喪失感のようなものが時々わいてきます。母本人が目の前にいるにも関わらずです。

もしも今、ご自分の親御さんなどの様子に異変を感じている方を見かけたら、迷わず認知症外来や地域の包括支援センターへ相談するなど、どんな形でもいいので一歩ふみ出して欲しいと伝えたいです。
 
異変を感じている間にも、ご本人の体はまわりが思っている以上にあっという間に変化していきます。何の覚悟もできていないうちに、目の前の人の本来の人柄と永遠のお別れ。その事に気が付かないまま変化の対応に追われ、気が付いたときには大後悔。という事にもなりかねません。

介護に関するサービスは様々あり、相談という最初の一歩に気後れしてしまうかもしれません。ですが最初に登場するのはおそらくケアマネージャーさんだと思います。その名のとおりケア(介護)に関する専属マネージャーとなり、家族に代わって様々なサービスの窓口にもなってくださるので、家族だけで孤軍奮闘するよりとても大きな力になると思います。
みなさまの介護が少しでも実りあるものでありますように。

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