「家族だからこそ、距離をとる選択もある」――母の介護を通して見つけた私の答え

はじめまして、つちこやです。
この記事では、私が高校生の頃に経験した母の介護について綴っています。つらい記憶もありますが、今だからこそ「前を向けるようになった」と感じることもあります。過去の私のように、介護に悩み、苦しんでいる方に届けばと思い、思い切って書きました。
思春期に背負わされた「介護」という現実
介護は、身内や家族ではやらないほうが良いと私は強く思う。私自身も自分が介護される時がきたらとても耐えられないだろう。なぜなら、身内や家族だからこそ、さまざまな良くない感情が交錯し、冷静ではいられなくなり、結果としてとても苦しくなるからだ。
実際、私自身がそれを身をもって経験した。私の母は、私がまだ高校生だった頃に若年性認知症を発症した。思春期という人生の中でも特に繊細な時期に、私は母の介護という重荷を女だからとのことだけで、背負わされることになった。学校のこと、進路のこと、自分の将来や夢といったことをすべてあきらめざるをえない生活になってしまった。どうしたらよいのかもわからず、導いてくれる大人もおらず、昔のこととてネットもなく情報も手に入らずただ毎日、理不尽な気持ちと闘いながら過ごしていた。
母は次第に私のこともわからなくなり、わがままな行動を繰り返す様になっていった。そのたびに私は、自分の中の愛情と怒りと悲しみが絡み合って、感情の行き場をなくした。けれど、周りの大人たちは「家族だから支えるのは当然」と言うばかりで、私のつらさには誰も気づいてくれなかった。
今振り返ると、あの頃の私はあまりにも無知で、ただの子どもだった。介護の知識もなく、心の余裕もなかった。そんな私が母を介護していたこと自体が、無理だったのだと思う。けれど、「家族だから、女だから、子どもが親の面倒を見るのはあたりまえだ」という言葉に縛られた結果、私の人生は押しつぶされるような形になり、その後、母はあっけなく病死してしまった。
「冷たい選択」ではなく「勇気ある選択」
だからこそ私は思う。介護は、家族の愛情だけで抱えるものではない。専門知識と経験を持ったプロに任せることで、本人も家族も、もっと穏やかに過ごせる可能性がある。無理をすることが愛情ではないし、自分の人生を犠牲にしてまで介護しなくてはいけないと思い込んでしまうなら、それは間違いだと思う。
介護をプロに任せるという選択は、けっして冷たいのではなく、むしろ大切な人と自分自身を守るための、勇気ある判断だと思う。
私と同じように苦しんでいる誰かがいたら、どうか自分ひとりで抱え込まないで、助けを求めてほしい。家族だからこそ、距離をとることが必要なときもある。
いま、わたしは介護職として施設でアルバイトをしています。初任者研修の資格をとり痴ほう症の方と日々接していると、あの頃、今のように知識も心の余裕もあれば母親の接しかたも違っていたかもしれないと思う。
まとめ
あの頃の私には、知識も余裕もなく、誰にも助けを求められませんでした。けれど今、介護の現場で働きながら、かつての自分を少しずつ受け入れられるようになってきました。
「家族だから」「女だから」「子どもだから」という言葉に縛られず、自分を守ることも、立派な選択です。
もし今、つらさや迷いの中にいる人がいたら、どうか、あなた自身の人生も大切にしてください。そして、頼れる人や制度に、遠慮せず手を伸ばしてみてください。
介護に、正解はありません。けれど、自分にとっての“納得できる答え”は、きっと見つけられるはずです。
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