在宅介護が教えてくれたこと。祖父と父、そして未来の自分へ

こんにちは、白くま子です。
今回は、祖父と父の在宅介護を通して感じたこと、そしてそこから見えてきた「自分のこれから」についてお話しします。
介護の現場での気づきが、どのように未来の自分と向き合うきっかけになったのかを綴ります。

転倒から始まった、祖父の在宅介護

同居していた父方の祖父は、転倒をきっかけに寝たきりとなり、約半年後、そのまま自宅で息を引き取った。

当時、私は学生で、同居していた祖母と母が協力して祖父の介護をしていた。
約40年前のこと。祖父はベッドではなく、畳の間に敷いた布団で寝ていた。まだ大人用オムツの品質も十分とはいえず、今のような便利な介護用品も出回っていなかったため、当時の在宅介護は大変だっただろうと想像できる。

一度寝付いて体を動かさなくなると、全身の関節が硬くなるのか、周囲の者が祖父の体を動かそうとするとたいそう痛がった。痛みのためにさらに体を動かさなくなり、結果としてますます体が硬くなっていく。そんな悪循環に陥っていた。
そのうちちょっと祖父の体に触るだけで「痛い!」と大声を上げるようになった。穏やかで優しかった祖父の、激しい大声が信じられなかった。

一方で、祖父は寝たきりでも食欲は旺盛だった。食事は3食きちんととり、1人前以上を食べた。
あるとき、祖父の大好物である大きな大福餅をおやつに出したところ、続けざまに6個をペロリとたいらげた。さらに7個目に手を伸ばす祖父を、体を心配した家族が慌てて止めたという話は、今でも我が家で語り継がれている。祖父は自分の手で食べ物を口に運んでいた。

父は仕事で忙しかったこともあり、自分の父である祖父の介護にはほとんど関わらなかった。
ただ、祖父に大声で注意はしていた。
「体を動かさなアカン!」
「人にやってもらうばかりでなく、自分でできることはしろ!」と。

繰り返された光景。父の介護で見えたもの

それから30数年後。今度は父が、やはり転倒をきっかけに寝たきりとなった。

父もまた「痛い、痛い」と言って体を全く動かさなくなった。1日中仰向けに寝たままで、動かすのは食事のときの顎と口の周りだけ。動かせるはずの手も使わなくなり、「ごはんやで」という母の声に、父は寝たまま口を開くだけで、食事を口に運んでもらっていた。

食欲は旺盛で、まるで雛鳥のようにパカッと口を開け、いくらでも食べる。
だが、母や私が体に少しでも触れると、ビックリするくらいの大声で「痛い!」と叫ぶ。

娘である私が、
「体を動かさなアカン!」
「自分でできることは自分でしい!」
というどこかで聞いたお小言を、祖父と同じく耳が遠くなった父に大声で言うようになった。

ヘルパーの方々の力を借りながら、母と私で父の在宅介護を続けたが、父もまた寝たきりのまま、祖父と同じ88歳で亡くなった。

介護は「未来の自分」と向き合う時間

「親子(祖父と父)は似るもんやなあ。こんなところまでソックリなんて」
と母とそう話していたとき、ふと思った。私が高齢になったとき、祖父や父とソックリになっているのではないかと。

私には夫も子どももいないから、将来介護してくれる人がいるとしても、それはきっと家族ではなく他人だろう。
そのありがたい存在の人から、
「食べてばかりいずに体を動かしなさい!」
「自分でできることは自分でしなさい!」
と、大声で注意されるのではないか。

父が祖父に言った言葉のように、私が父に言った言葉も、いつか私自身に返ってくるかもしれない。

将来、誰かにそのような迷惑をかけないように気をつけなければと、気持ちを引き締めている。

介護とは、人の世話をしているようで、実は自分に対する気づきや、これから行く道の課題を与えてくれるものだ。

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