「わしも死ぬのに忙しいんや!」40年後に気づいた祖父の本音

こんにちは、白くま子です。還暦間近になった今、高校3年生のころに母と祖母が寝たきりの祖父を自宅で介護していた日々を、ふと思い出すことがあります。
今回は、祖父が母に向けて言った一言と、その言葉の本当の意味に約40年経ってようやく気づいた話をお届けします。
寝たきりの祖父と、忙しすぎた母

同居していた父方の祖父は転倒したことがきっかけで寝たきりになった。認知症の症状が進んではいたが、食欲は旺盛で会話はできた。
寝付いてしばらく経った頃、祖父にとっての息子の嫁、つまり私の母を「オーイ、オーイ!」と大声で呼ぶようになった。
当時母は家で洋裁の仕立物をしながら、健康体操の先生として公民館などあちこちへ指導に飛び回り、家では家族6人の食事作りなど家事全般を1人で担い、さらに祖母と共に祖父の介護をしていた。超人的と感じるようなありえない仕事量。介護を支援する制度や用具なども整っていない頃で、私自身が年を重ねるほど、母への「頭が下がる思い」は強くなってくる。当時私は受験を控えた高校3年生、姉は社会人1年目。「お手伝い」程度で戦力にならなかった。
呼ばれた母が祖父の元へ行くと、祖父はたいしたことがない用事をボソボソ言うだけ。祖父の呼び出しがあまりにも度重なったとき、母はたまらず「おじいさん、私、忙しいんよ!」と祖父に言った。
それに答えた祖父の言葉は、
「わしも死ぬのに忙しいんや!」
そばに居た祖母と母が吹き出し、祖母など涙まで流して笑っていた。
祖父は無口な明治の男。真面目一本の性格で、祖父が冗談を言うのを私は聞いたことがない。このときも大真面目な訴えだった。
約40年後に気づいた、祖父の本音

それから約40年が過ぎたつい最近のこと。お風呂に入っていた私は、突然「アアッ!」と思い至った。
祖父は大人数の兄弟の1番上で、自分の両親を早くに亡くした。
祖父の妻はやっとできた長男(私の父)がまだ小さい頃に亡くなった。次に迎えた妻(私が知っている祖母)には子供ができなかった。この父にとって義理の母に当たる祖母は病気がちで、自分の夫(祖父)や義理の息子(父)、親族らに常に気を遣って、距離を取っている人だった。
祖父は若い頃、自分の妻子だけでなく、自分の弟妹たちの面倒を親代わりに見ながら、その当時の家業である商売と農業に励んだ。
祖父の周りの親族は、やさしい祖父に頼っている人が多く、祖父は皆に甘えられて頼られ続けてきた。一族の長はそうでなければならないと、祖父自身が考えてしまうような時代であったのだろう。
祖父は、1人息子である私の父の行く末をずっと心配していた。
そこへ嫁いできた私の母は、大のしっかり者で姉御肌。
「あんた、男だったら、何らかの分野で『親分』と呼ばれるような人になったやろうな。器、度量が大きいわ!」と母に直接言う人もいた。
祖父は「たよりない1人息子(私の父)にうってつけの嫁が来てくれた。これで安心だ」と喜んでいたという。
晩年、寝たきりになる前に、祖父は、母が洋裁をしているところへきて、自分の来し方などの昔話をし、「○○(父の名前)と△△(祖母の名前)と、この家を頼む」と泣きながら頭を下げていた。
母は、祖父の人生で初めての、自分の近くで「頼りになる人、甘えられる人」だったのかもしれない。
ここで祖父が発した「わしも死ぬのに忙しいんや!」の言葉に戻る。
この言葉の後に、祖父が実際には口に出さなかった言葉が続くのだ。
「家事や仕事で忙しくしているのは分かる。そやけどわしはもうじき死ぬから時間がないのや」
「だから構ってえなあ!」「最後なんやから構ってえなあ!」
と祖父は言いたかったのだ。
振り返ると、人に甘えられてばかりの人生。自分自身は両親にも甘えられなかった。
人は年をとり、寿命の終わりが近づいてくると、子供に返るという。
祖父は最期ぐらい、1度ぐらいは、子供に返って人に甘えたかったのだろう。
祖父がこの言葉を発してから約40年。おバカな孫である私は、自分が還暦間近になってやっと祖父の本当に言いたかったことが「アアッ!」と心に伝わってきたのである。
最期まで祖父を「構って」いた母
その後、「オーイ!」と呼ばれると、仕事や用事の途中でも、苦笑しながらも、母は祖父が寝ている部屋へ飛んでいき、耳の遠い祖父の耳元で「なんや? おじいさん!」と大声を出して、祖父を「構って」いた。
祖父は6ヶ月ほど寝付いた後、自室の畳の間に敷いた布団の上で、祖母や母に看取られて、88歳、老衰で旅立った。
まとめ
今の時代、家族の介護をしている人の多くは、介護にプラスして、仕事、家事なども同時にこなしているので、みんな忙しいことこの上なく、余裕などない状態だ。
そんな時に介護されている人に何度も呼ばれたら、思わず叱りつけてしまったり、構ってあげられなかったり、気持ちを分かってあげられなかったりすることもあるだろう。仕方がないことである。
ただ、このように何十年も経ってから、介護されている人の真意が分かり、自然と涙がこぼれることがあるのだ。
介護されている人が話すことを、「忙しいし」「認知症の影響もあるのか、またトンチンカンなことを言ってる」などと思い込んで聞き流さずに、きちんと受け止めなくては、後々心に引っかかりが残ることがあるということを、心に留めておきたい。
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